Takeshi Yamazaki
monofarm編集室
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未来のものづくりと地域の活性化をどのように行いプロモーションをしていくかを模索し日々奔走しています。

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地域の魅力を伝えたい!東京都国分寺市の
文具店「山水堂(さんすいどう)」の取り組み
東京都のちょうど真ん中あたりに、東京都国分寺市はあります。JR中央本線と武蔵野線が通る交通の便がいい人口がおよそ12万人のベッドタウンです。今回はJR中央本線国分寺駅からほど近いところで、文房具店を営んでいる山水堂 代表の小林治さん(以下小林さん)にお話しを伺いました。


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山水堂 代表 小林治さん


山水堂さんがこの国分寺市に店舗を構えたのが、1956年でまだ北多摩郡国分寺町のころだといいます。


post_strong_01 私の親がこの土地で文房具店をはじめました。裏には国分寺市立第一小学校がありましたが、小学校と駅以外は商店がところどころあるくらいで、ほかは草むらでした。
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いまはお店の周りは高いビルが立ち並んでいますが、ずいぶんとのどかなところだったということですね。1966年頃に小学校は他の場所へ移転をしましたが、山水堂さんはこの地で現在まで長年文房具を中心に扱っています。


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山水堂 店内


この山水堂さんは、この国分寺市の魅力をまわりのみなさんに伝えるために、いくつかのオリジナル文具を企画から販売までしています。そのオリジナル文具のひとつが「ペンシルロケットしおり」です。なぜペンシルロケットなのか?実はここ国分寺市は”宇宙開発発祥の地”なのです。



monofarm_tamago_kari ペンシルロケットとは?
1955年4月に工学博士の糸川英夫教授がペンシルロケットの水平実験を行ったのが、日本最初のロケットです。大きさは長さ23×直径1.8センチあまりですが、固体燃料も積んでいて小さくても立派なロケットなのだそうです。水平に発射することにより様々なデータを取ることができ、「はやぶさ」を宇宙に飛ばした、ミュー5ロケットに引き継がれているのです。



国分寺市が”宇宙開発発祥の地”だということをアピールしたい、という思いが小林さんにはあったそうです。


post_strong_01 デザインは私がやりました。楕円が宇宙を表していて、水平発射で実験したのでロケットの配置は水平の横向きです(笑)。
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2006年11月からの発売を開始したのですが地域のみなさんはもちろんですが、ペンシルロケットに所縁があるみなさんなどがわざわざ国分寺市まで購入にいらっしゃったそうで、このことは想定外だったそうです。

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実物大ペンシルロケットの模型とペンシルロケットしおり


その当時、小林さんは商店会連合会の会長をやっていたこともあり、将来的に商店会のオリジナル商品販売のモデルケースになればという意図もあったといいます。 なぜオリジナル商品に「しおり」を選んだ理由をお聞きしたところ


post_strong_01 いつまでも手もとに残るものをつくりたいという思いがあったので、金属製の「しおり」にしました。
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手もとに残るものであれば、国分寺市が“宇宙開発発祥の地”ということを若い世代に伝えられるという思いがあってのことだそうです。毎年7月に、市役所、ロータリークラブ、宇宙開発発祥の地国分寺顕彰会による、子供達のためのペットボトルロケット大会を開催しているそうです。


もう一つのオリジナル商品が、「武蔵国分寺ふるさと一筆箋(いっぴつせん)」です。


post_strong_01 こういった町の文化財の写真が入った絵葉書など役所内で販売しておりますが、なかなか市民の目にとまらないため、ならば山水堂でつくってしまおうと思いました。
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武蔵国分寺ふるさと一筆箋(いっぴつせん)


小林さんは役所と話し合い、市の文化財の写真の使用許可をもらい2011年から”武蔵国分寺ふるさと一筆箋(いっぴつせん)”の販売を開始したそうです。国分寺市はおよそ1300年まえに国分寺(武蔵国分寺)が建立されたほど歴史があり、古くからの文化財もあるところで、やはりそのことを地域のみなさんに伝えたいという思いがあったそうです。

小林さんはオリジナル商品をいくつか企画をされていますが、その他にも地域の魅力=国分寺市の魅力を地域のみなさんやほかの地域のみなさんに伝えたいという思いもあるといいます。特に国分寺駅周辺は、人の流れが国分寺駅のみで止まってしまうということもあり駅中から駅外へと、人の流れをつくりたいという思いがあったといいます。
そこで、平成19年に国分寺のお寺近くの”お鷹の道”沿いに市有地があるということで、その場所をお借りして市・東京経済大学・一般市民<産・官・学>の協働の元に、ケータリングの車と屋台形式のお店を出店し「おもてなし事業」と言う名称を付け運営をはじめました。人通りの少ない場所でしたが徐々に人通りが増えはじめ、市の文化財資料館もでき、現在の「史跡の駅おたカフェ」に発展していきました。いまでは国分寺駅から観光などで訪れた方たちが、史跡武蔵国分寺跡や「史跡の駅おたカフェ」の周りに足を運ぶ姿がよくみられると言います。もちろん、「武蔵国分寺ふるさと一筆箋(いっぴつせん)、ペンシルロケットしおり」は「史跡の駅おたカフェ」でも販売しています。


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史跡の駅 おたカフェ


小林さんにこれからの夢をとお聞きしたところ


post_strong_01 いま国分寺駅北口の再開発をやっていまして大きな駅ビルが建ちます。そして今以上に一般の方が駅に集中してしまいます。ですから我々は国分寺駅北口の再開発もありますが、一般の方に駅の外に出てもらうためにも、いままでの取り組みを継続的におこなって、一般の方によりこの国分寺の街を歩いてもらいたいです。
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地域活性化はみなさんが、地域を歩いたり利用したりしてはじめて出来ることだということも、小林さんは話して下さいました。


post_strong_01 そして地域が活性化されて魅力があれば、住んでいる子供たちがたとえ大人になってこの国分寺市を離れてもいずれ戻ってくると思います。
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とも、小林さんは未来に想いを馳せます。
きっと今の子供たちが大人になって国分寺の街を一回出て行ってしまっても、ペットボトルロケットのようにこの地に帰ってくることでしょう。

こんな魅力的な地域が、多摩地区にあるのがうれしいですね。みなさんも国分寺の街を歩いてみてはいかがですか?きっと素敵な魅力がみつかると思います。


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山水堂外観 えんぴつ型の看板が目印です


「史跡の駅おたカフェ」 ホームページ

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