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糸とともに歴史をつむぐ、東京の養蚕業を守る「東京シルクの会」
今着ている服は、どこの国で作られたものでしょうか? タグを見てみるとMADE IN CHINA(中国産)などと書かれていますね。みなさんもきっと想像したとおり、海外産のシェアが圧倒的で、日本での生産は減少の一途をたどっています。でも実は、MADE IN JAPAN(日本国産)と記載されていても、原料となっている糸は海外で生産されている場合が多く、一から全て日本国産の服はかなり少なくなっているのが現状です。

最近は、富岡製糸場(群馬県富岡市)が世界遺産に登録されることに決まり、たびたび養蚕が話題になっていますが、現在の東京でも養蚕業が続いていることはあまり知られていないのかもしれません。「東京シルクの会」は、蚕糸、絹業の発展維持を図るため、農家と絹織物などの生産関係者と、問屋、小売店などの流通関係者を結んで、より魅力ある純国産絹製品をつくるための団体です。

今回は「東京シルクの会」会長で、東京都世田谷区の着物屋さん「千歳屋」の店主、内海康治さんにお話を伺い、養蚕業の歴史を紐解いていきます。

東京シルクの会 会長 内海さん

東京シルクの会 会長 内海康治さん

養蚕とは、蚕(カイコ)を飼い育てて、その繭(まゆ)から生糸(絹)を作りだすことです。養蚕の歴史は古く、今から5000年以上も前に、中国で始められた技術であるとされています。中国産の絹糸をはじめ、さまざまな文化交流で東西を結んでいた“シルクロード”はあまりにも有名です。日本に伝わったのは紀元前200年頃ともされ、長いあいだ、人間と蚕は寄り添い生きてきました。

日本では、技術が伝えられてからも中国からの輸入が多く、江戸時代になって町民文化の発展とともに養蚕業が盛んになっていったそうです。 米の栽培が難しい地域では、年貢として納められていたということで、重要な産業であったことがうかがえます。

精錬前後の絹

(左)精錬後 (右)精錬前 精錬によって柔らかい風合いになります

東京での歴史はというと、米が育ちにくい地域を中心に、養蚕農家が増えていきました。 昭和30年代は一番絹織物が売れた時期で、絹の相場がとても上がり、大卒のお給料が月6万円ほどだった時代に、なんと1キロで2万円で売買されていたということです。その後も長年発展していましたが、平成初期頃は都内に100軒以上存在していた養蚕農家ですが、平成19年に国からの助成金が打ち切られてしまったため、養蚕を辞めてしまう農家が続出しました。現在も都内で養蚕を続けている農家は、わずか7軒にまで減ってしまいました。

桑畑マップ

(左)明治44年 (右)昭和14年当時の世田谷区祖師ヶ谷付近 桑畑マップ


東京シルクの会は、貴重な東京産のシルクの伝統を守るための支援や、会員の手によって染色や製作されたオリジナル製品を生み出す取り組みを行っています。その品質はお墨付きで、国産の繭から繰糸した生糸などを用いて、国内で製織、染織、加工および縫製された純国産絹製品であることを証明する“純国産絹マーク”を取得しています。また、製糸場がある群馬県の繭品質評価協議会の検定において、最高の5Aの評価を受けているそうです。

post_strong_01 「東京産のシルクは、純度の高い白色をしていて、美しい艶があり、ふっくらとした優しい肌触りであることが特徴です」
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中国産との品質の最大の違いは、“水”にあると言います。蚕は桑の葉を飼料としますが、桑の木が育つ環境も非常に重要で、東京の養蚕農家は“伏流水”が引かれている東京の桑畑でとれた桑の葉を厳選しているとのことです。

東京シルクの商品

純国産絹マークを取得しているシルク製品は輝きがちがいます


今後の東京シルクの会の活動について、こう語ります。

post_strong_01 「東京の蚕糸絹業の伝統を守り続けたい。作家さんのオリジナル製品などを通じて、東京産シルクの魅力をもっと伝えていけたらと思います」
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国内での生産は1%まで縮小しているなかで、東京生まれの絹はさらに希少な存在になっています。愛情をこめて作った繭、絹糸は、時代を超えても人々を惹きつける美しさがあります。今後も、生糸とともに歴史を紡いでいくことでしょう。


お問い合わせ先:KIMONO千歳屋
東京シルクの会 ホームページ
東京シルクの会 ブログ
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